信用というものについて



信用というもの
信用というものはあくまでも自己責任の範疇に入るものだとワタシは思う。
信用に値するとおもっているその相手はワタシが勝手に思っているにすぎず、そこには裏切られるリスクもある。万一裏切られた場合、それは相手に問題がある場合も多いだろうが、そんな相手を信用したワタシが一番悪いのだ。これは個人間の問題に終始する場合ならまだいいが、グループ間、会社間、組織間を巻き込む場合はより顕著にシビアに公的に周りを巻き込んでそれが問われる。
長年の親友であろうと、家族であろうと、取引先であろうと(今のワタシにそれはないが)信用というものの内容は常に自分で理解しておいたほうがいい。
その「信用」なるものはどういう種類のものなのか?冷静に考えてワタシは相手の何をどのように信用しているのか?万一裏切られた場合のリスクは?また、当方が裏切られたと誤解してしまう可能性とその場合の対処法は?これらをひっくるめて頭に入れておいた上でワタシは相手への信用を開始することがいいと思う。
これらのことを少しも頭の片隅にさえもおかずに、やみくもに直感的に相手を信用してきたワタシは現在このような結論に達している。
単純な話だ。信用したのはワタシなのだから、その責任はワタシにある。
昭和世代のワタシからすれば、この考え方はとてもクールで情感がないものに感じられないわけでもない。
友情とは家族愛とは、もっと直接的なものであり、もっと情感に満ちたものであるべきというおおらかな時代に育ってきたワタシは当然そちら側の者だ。思考も感じ方もである。それでもワタシは今そう思う。
そしてそう思った後のワタシは何故か非常に気が楽になった。これは敗北なのだろうか?
たくさんの敗北を経験してきたワタシは敗北というものの味を知っているが、これはその味ではない。